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【達成御礼】クラファン終了しました

NEXT GOALを達成しました!!!
ありがとうございました!!!
長かったようであっという間だった52日間でした。
皆様の1つ1つの応援があったからこそ、達成することができました。
本当に本当にありがとうございました。
生産者さんへの全量買取資金として大切に使わせていただきます。
そして、事業の健全化と1日も早く軌道に乗ることに全力で努めて参ります。

皆様の応援に恥じぬよう、頑張ってまいります。
どうぞこれからも小豆計画を見守ってください!!

タネは地域の宝。
タネはみんなのもの。
タネは、守って、繋いで、私たち人類が正義と責任を持って次世代に渡していくべきもの。
タネは、科学の力で変化させてはいけないもの。

固定種のタネを守り繋ぐ活動が、ムーブメントが大きく広まっていきますように。
鹿児島県鹿屋市の地より、感謝と願いを込めて。

株式会社かごしまんま
代表取締役 山下理江

2024年 2月 8日 Blog | 小豆計画

【あと10日!】自然のチカラ。旬のチカラ。

あと10日となりました!
おかげさまで、ここまでくることができました。
本当に本当に感謝します。
あとどこまでいけるか、とにかく頑張ってまいります。
引き続きの応援、どうぞよろしくお願いいたします!!

野菜食材通販かごしまんまを10年以上やってきて、実感から確信に変わったこと。
それは、自然のサイクルにしたがってつくられたものが一番美味しくてチカラがあるということです。

考えてみると、人間以外の全ての生き物は土地の旬のものしか食べません。
現代の人間だけが季節を無視した食生活です。
冬野菜のキャベツを、夏も好んで食べたりします。

しかし南国九州では夏の日差しや暑さがとんでもなくて、キャベツやニンジン・タマネギなどの冬野菜は溶けて育たず姿を消します。
創業当初の夏は、たくさんのお客さんから「キャベツやニンジンや大根が欲しい」と言われました。
でもどんなにたくさんリクエストをいただいても、夏の鹿児島でキャベツは手に入りません。

野菜セットには夏にはずっとゴーヤとオクラが入り続け、冬にはずっと大根とニンジンが入り続けます。

夏の野菜セット


冬の野菜セット

最初の頃はクレームの嵐でした。しかしないものはどうやってもありません。
旬の野菜の良さを説いたり旬の野菜レシピやメニューを紹介したりして、続けました。

すると2年くらい経った頃から、お客さんの反応も私や家族の体調も変わってきました。
季節の初めの野菜を食べると、身体が喜ぶ感覚がわかってきたのです。
そして医者へ行く頻度が減ってきたと感じるようになりました。
あまり体調を崩さなくなり、滅多に風邪をひかなくなりました。
同じように実感したお客さんからも感謝のお言葉を多くいただくようになってきました。
真夏にキャベツをリクエストされることもだんだんなくなっていきました。

この身体の変化は何なのだろうか?
旬とは何なのだろうか?
自然界の動物の行動サイクルと旬の恵みをまとめてみると、神様がくれる自然の偉大な予防医学だということがわかりました。
中国や韓国の古くからある言葉で、薬食同源という言葉がありますが、まさにそれです。

旬の初めのものを食べて感じる全身の喜びを、私は『旬スイッチ』と名づけました。
その季節に身体が待ちわびていたものだからこそ、めちゃくちゃ美味しいと感じるのです。
旬スイッチが入ると、身体はその季節に適応させようと色々シフトします。
それが本当の意味での『免疫力UP』ではないでしょうか。

例えば秋。厳しい冬を乗り越えねばならない動物は、秋には糖質やでんぷん質を身体に蓄積させます。
私たち人間も、秋に一番食欲が増進するのはそのためです。

自分の畑で採れた旬のものだけをずっと食べる、農家さんの多くはそういう食生活です。
だからあまり体調を崩さないのだろうな、と私は推測しています。

今の旬スイッチは、なんといっても春菊や金柑。
これらを食べると旬スイッチが身体に入るのを感じます。


本葛と金柑の甘露煮を溶いてつくる、金柑の葛湯


風邪をひきやすいこの時期は、柑橘類や金柑の葛湯を

少し苦いこれらを食べると、ちゃんと身体が春バージョンへとシフトして行動的になり、溜め込んでいた糖分や脂質を燃やそうとしてくれます。

逆に夏にキャベツを食べたら、身体は冬の旬スイッチを受け取ってしまうのではないでしょうか。
それは体調を崩す原因にじゅうぶんなり得ます。

私たち人間も自然のサイクルの一部。
他の動物たちと同じように旬のものだけ食べるほうが理にかないます。
旬の野菜だけを食べ続けてみてください。半年で全く違う身体になっていることを実感します。
そして旬のものを食べると全身で感じる喜びを、旬スイッチが入る瞬間を、ぜひ体感してください。

旬のチカラ、すごい。
自然のチカラ、偉大。

旬をずらすことができる改良品種の野菜よりもずっと、在来種があんなにも濃くて力強くて美味しいのは『旬のチカラ』があるからなのです。
在来種は旬や季節をずらせません。種まきを少しでもずらすと全く育ってくれません。
自然のチカラは本当にすごいですね。

在来種のこの小豆が『濃くて美味しい』『懐かしくて力強い味』とよく言われるのも、自然のサイクルにしたがって、この土地で育てるからだからこそだと確信しています。
この在来種小豆を、絶対に復活させたいです。
あなたからのあと一歩のご支援を、こころよりお願い申し上げます。

2024年 1月 21日 Blog | クラウドファンディング活動報告

【残り14日】目標達成まであと26万円です!

【鹿児島の地小豆を復活させて、地元農業とスイーツを盛り上げたい!】にご支援応援くださり、本当にありがとうございます。

クラウドファンディングも残り14日となりました
・・・と書いているうちに夜中の12時を迎えて残り13日となりました。

現在104人の方々からご支援をいただいております!
『感謝』という言葉では表しきれない感動の波が、毎日私を泣かせにかかってきます。
この日々を私は決して忘れたくありません。
ご支援・応援くださる皆さんおひとりおひとりのおかげで、ここまで走ってこられました。

ひっそりと繋がれていた在来種の小豆を、惜しげもなくまっすぐ教えてくださった瀬貫さん。
この瀬貫さんとの出会いが、
そして瀬貫さんの「私はこの小豆しかつくらない」という頑なな意思が、
この在来種小豆の種蒔き時期や栽培期や収穫期への頑固さが、
史上最大級の台風でもびくともしなかった生命力の強さが、
食べた瞬間の突き抜けるような、でもどこか懐かしい美味しさが、
その土地の風土に適応してたくましく生き抜いてきた在来種の、
とてつもない素晴らしさと尊さに気づかせて頂きました。

多くの在来種の種が絶滅の危機に瀕しているということ、そしてそれに突き動かされて活動している先輩や仲間が各地に存在するということも、この小豆復活プロジェクトを通してどんどん知って広がっていきました。

巨大多国籍企業の遺伝子組み換えやゲノム編集技術やF1種子が世界中の農業を飲み込もうとしているなかで、地域の消えゆく在来種を復活させて、その地域に再貢献する試み。
あなたのところのような零細企業が手を出すべき領域じゃないよ、とも言われたりしたこともあります。
その通りです。
だけどこのまま地域農業や地域商業が衰退していくのをみているよりも、地域農業と地域産業の未来をほんの少しワクワクする方向にシフトする貢献ができるなら、どんなに素敵なことでしょう。

計画の途中で、コロナ禍やウクライナ戦争や円安や物価高騰に巻き込まれて、通販の売上も史上最悪に激減して、融資の決済も数ヶ月止まって、いよいよもうダメかも・・・と諦めかけてどん底に沈んでいた去年の自分に、この今の状況はとても想像できませんでした。

たくさんの人の応援によって、決して越えられなかった壁を乗り越えることができる、それがクラファンだと頭ではわかっていても、いざ自分が挑戦するとそのことがいかに困難でいかに尊いことか身に沁みます。

ここまで応援してくださった皆さんに、心よりお礼申し上げます。
本当に本当にありがとうございます!!!
おかげさまでここまでこれました。ありがとうございます。

あと13日。お気持ちに応えるべく、頑張ります。

無遠慮なお願いで恐縮ですが、どうか皆さんのお力をもう少しだけお貸しください!
引き続きのご支援・応援と拡散を、どうぞお願い申し上げます。

株式会社かごしまんま
山下理江

2024年 1月 18日 Blog | クラウドファンディング活動報告

『まんまだより』からみる小豆計画の歴史(2023年)

(2023年1月前半号)
2022年は『ここ鹿児島で小豆を生産してあんこをつくろう!』という目標をただひたすら実行していった1年でした。
いつものように資金力ゼロからのスタートでしたので、まずは商工会や銀行や補助金関係に熱いアプローチをかけるところから始まり、企画書や経営計画書をつくり、計画を進めながら、補助金や融資申請を出し続けました。
計画はどんどん進んでいく一方で、各種補助金には落ちまくり銀行からの融資もなかなかうまく進まず、焦る日々。
あまりにずっと胃が痛むので胃カメラも飲みましたがいたって健康体・・・。

やっと補助金が通って銀行も融資に乗り気になってくれて順調に進んでいくと思いきや、今度はあらゆるものの値上げの大波に巻き込まれ、通販事業の売上も激減していく日々。

さらには建築する製餡所が各種法の規制により「浄化槽を大型にしろ」「排煙窓を設置しろ」等々、有難くご指導されて、急に高額な出費が続くという、胃と心臓に悪いことの連続でした。

しかし何もないところから新しいなにかを生み出すことはとても面白いです。
特に農業に関わるにあたって、まず心掛けたのは『来年もまた続けたくなる農業を』。

日本の農業は、機材は借金を重ねて購入し、人材は自分の家族と外国人実習生を使い、作物は市場で安く買い叩かれてしまうのが現状です。
重労働な上にリスクばかりで儲からない。
後継者は激減し、高齢化が進んでいます。
新しく小豆生産に挑戦し来年以降も続けて頂くには、専用機材はこちらで提供し、栽培については講習会や随時相談を受けて伴走し、そして買取り価格を市場よりかなり高くすることだと考えました。

資金ゼロの自分がこれらを実行するにはどうしても国からの補助金や銀行からの融資が必要だったので、無事に通った時は本当にホッとしました。

市報の広告欄で生産者募集をし、生産講習会を開催し、生産者グループLINEを開設して状況を報告し合い、収穫期に入った今は、購入した脱穀機が各生産者さんの畑をまわっています。
小豆の鞘の様子を語ったり脱穀機を借りにきたりする生産者さんの嬉しそうな顔を見ると、こちらもとても楽しい気分になります。

これからかごしまんま倉庫を改修して、2月には乾燥機と選別機と重量計を設置予定です。
生産者さんたちが代わる代わる来て、これらの機械を使ってピカピカの小豆にしてくださることでしょう。
5月にはおそらく製餡所も完成し、生産者さんたちがつくってくれた小豆でいよいよあんこ製造スタートです。

いまは「鹿児島で小豆?聞いたことないよ」という世間の常識。
これから数年かけて「鹿児島には、かのや姫小豆があるよね」という認識に変えていく。
それが今の私の夢であります。

続けたくなる農業を。
これを常に忘れずに。
農家さんへの感謝をいつも胸に。

(2023年9月後半号)
製餡所に全ての機械類がやっと揃いました。
いよいよ粒あんづくりのスタートです。
しかしかごしまんまは誰も本格的な製餡をしたことがありません。
10年ものあいだ野菜や食材と向き合ってきただけです。
大坂屋さんや製餡機械メーカーさんに製餡を多少教わりましたが、不安材料しかありません。

しかし初めて機械で製餡する前日。

たまたま鹿屋の小豆の歴史を知りたくて、1860年創業の老舗和菓子店の富久屋さんに勇気を出して聞きに行きました。すると店番していたおばあちゃんが快く小豆の歴史を教えてくださって、さらにはかのや姫小豆を復活させようとしていることをめちゃくちゃ喜んでくださって、なんとそこの社長さんが製餡指導してくださることになりました。
もー、ただただびっくりです。
だって初製餡の前日にですよ、老舗和菓子屋さんに飛び込んだら助けてくれることになった、なんてウルトラ奇跡ですよ。
まさに事実は小説よりも奇なりです。

翌日。
不安だらけだった初製餡は、一転して和菓子の師匠が降臨したギフトな時間に変わりました。
小豆を扱う手さばきも、餡練り機とピッタリ合う呼吸も、道具を大切にする作法も、師匠の一挙手一投足にただただ感動して、あっという間に50kg近くの粒あんができました。


師匠がいてくださって、本当に助かりました。
製餡そのものだけではなく、機械や道具類の洗い方やアリ退治の極意まで、惜しみなく教えてくださいました。
かごしまんまスタッフだけで製餡していたら、と思うとゾッとしました。
初心者にとってはそれほど大変な作業でした。

「どうしてこんなにも親切にしてくださるのですか。本来なら何年も厳しい修行を積むのが和菓子の世界だと思っていました。それをこんなにも惜しみなく教えてくださるなんてただただ感謝です」
とお礼を述べると、師匠はこう仰いました。
「だってこんな誰もやらないようなことを借金してチャレンジしようとしてるんだもの。鹿屋の小豆を復活させてうまくいけば鹿屋の地域おこしにもつながる大切なことだもの。応援するでしょ、そりゃ。教えられることは教えますよ僕は。また製餡する時には僕を呼んでくださいね。時間があるときは来ますから。頑張りましょう!」

製餡した次の日。
師匠もとい富久屋の社長から電話がかかってきました。
「ねえ昨日のあんこの売り先、決まっているの?決まってないのなら少し買い取るよ。
流通網が発達していなかった一昔前までは鹿屋はみんなこの小豆だったんだから。
美味しいってみんなわかるよ。
良い小豆だからお彼岸のおはぎ作るからさ。頑張って売ろうよ」

毎日のように私を涙ぐませる富久屋さんでした。

富久屋さんのおはぎ。
それはもう、最高に美味しいおはぎでした。
初製餡はこんな感じでとても記憶に残るものとなりました。

2024年 1月 16日 Blog | クラウドファンディング活動報告

『まんまだより』からみる小豆計画の歴史(2022年迄)

かごしまんま通販では、日々のことや食の安全・健康についてをテーマに色々書いたかごしまんまだよりを商品と一緒にずっとお届けしてきました。
ありがたいことに、ずっと大切にファイルしてくださっている人も多いまんまだより。
このまんまだよりの過去分から、小豆計画の歴史を抜粋して、文章はなるべく当時のまま加筆しないで掲載します。

(2021年7月前半号より)
毎年11月になると山奥のおばあちゃん2人がつくった小豆を全量買い取りしていたのが、去年はまさかの収穫ゼロ。

おばあちゃん2人で30kgもの小豆を生産して、完璧な選別までやっていたなんて、今更ながらズゴイ

もうまる1年手作りあんこを食べてません。
できたてのあの、あったかいあんこが恋しい・・・。

調べれば小豆の生産は北海道が93%を占めていますが、残りの7%は全国各地で栽培されており、鹿児島でも自家用程度に栽培している人はけっこういます。
しかも大豆の生産と同様に年々生産者数が減少しているようです。

きゅ、きゅうしゅうさんが食べたい・・・。
九州産の小豆で作った商品をお客さんに楽しんでもらいたい。
そこでチャレンジしてみることにしました!

実は2年前(2019年)にも一度そう思って、資金ゼロの私は鼻息を荒くつくったパワーポイント資料片手に商工会議所に相談に行きましたが、その時は笑われてしまいました。
「北海道産がブランドなのに、なんで鹿児島で小豆を作らにゃあかんの?別に北海道産でいいじゃない?ってなりますね」と。

でも先日、懲りずに商工会議所へ再び相談しに行きました。
すると今度は「面白そうですね!」と好反応。
商工会議所の担当者が変わったからかもしれません。

「とにかくスタートしたぞ!種買って生産者さんと取引先を探して、経営計画練っていこう!」と意気込んで銀行に相談した数日後には、もう農家の井之上さんがやってきました。
「役所から聞いたよ、小豆作りたいんだって!5セならつくるよ♪」
なんと狭い田舎!なんと頼もしいお言葉!・・・ん?『5セ』ってどんな単位ですか?!

さらに井之上さんが帰って5分後には、今度は銀行の担当者が「どうですか~、小豆の進捗情報は」と来ました。
すかさず私は即答ですよ、「生産者さんの目星もついてきました。5セは確保しましたから(ドヤッ)!」

5セとはどうやら150坪らしいです。
わあ広~い。すご~い。

どうか大雨とか台風が来ませんように。虫や細菌に攻撃されませんように。
どうせやるならあんこの中でも一番おいしい丹波大納言種を。
生産者さんが毎年安心して作り続けられるような買取価格を。
台風や大雨などの災害で収穫ゼロの年にも対応できる貯蔵庫を。
かごしまんまオリジナル原料でつくる美味しくて安心な製餡所も。
妄想がひろがってワクワクします。
おババもかごしまんま敷地内でつくってくれることになりました。(※おババ→我が母)

(2021年7月後半号より)
既に5人の生産者が決まり、約2反分くらい作付けすることになりました。

おババは丹波大納言種の小豆を7月9日に種まき

他の生産者さんもお盆までには種まきを終了します。

しかしまだ工房も製餡機も手に入れてません。
お金もありません。
さあ、どうする私!?

実は融資や補助金の類は、熱意や夢だけではなかなか銀行も国も自治体も動いてくれません。
なのでまず自分が実際に動いて、生産と製造と取引先の見込みをつくります。
これ、超プレッシャーなんですよ・・・。

このまま銀行がお金貸してくれなかったら、私は大量の小豆を抱えながら自己破産です。

もちろん怖いっす!
でもまあ『かごしまんま』の立ち上げ時に比べたら気持ちはかなり楽です。

創業当時の2011年は、取引先や売上見込みはおろかホームページもない状態で、自己資金ゼロで銀行に融資をお願いするというむちゃぶりでした。
しかもスマホがまだない田舎では、インターネット通販は全く理解されませんでした。

それに比べたら、いまは応援してくださるお客さんも取引先も生産者さんもたくさんいます。
さあこれから機械や建物の見積もりをとって、今後5年間の経営計画を立てて、商工会と銀行にお願いしに行きますよ~。

(2021年8月前半号より)
あちこちに相談しまくっていたら、ある日電話がかかってきました。
「自家消費用程度だが、ここ鹿屋で代々ずっと小豆を作っている方がいる。その方が小豆プロジェクトのために小豆を作ってもいいよと言ってくれている」

さっそく連絡を取りました。
私「ありがとうございます!お願いします。最高品種の丹波大納言の種をこちらで用意します」
生産者「それじゃ、嫌だ。つくらない」
私「へ?」
生産者「うちの小豆のほうが、大納言よりはるかにおいしいもん。うちの種でだったら作ってもいい」
私「(むむむ・・・予想外の展開だ。丹波大納言でそろえたかったが、小豆は各地に在来種がある品種。もしかしたら実際に丹波大納言よりも美味しいかもしれない。なによりこの人は鹿屋の貴重な小豆生産者。ここで破談になったらもったいない。ええい、ここはこの人の主張を受け入れて賭けてみよう!)
・・・わかりました、それでは今までの小豆でお願いします!」

※この生産者さんとの出会いが、小豆計画の歴史の大きな一歩となりました。
この年、丹波大納言チームはまさかの大敗退。
代々ずっと鹿屋の小豆でつくってきた生産者さんだけがいつも通りの収穫量を得たのでした。


代々ずっと繋いできた鹿屋の小豆を、例年通り収穫する

(2022年5月後半号より)
こちら鹿児島には小豆生産者さんが全くいないので、今月は市報の裏表紙の広告欄に【小豆生産者募集】広告を出しました。
なんせ、生産者さんが集まらないと始まらないこのプロジェクト。
頼む、生産者さん集まってくれ~!

同時進行で製餡所建築計画も進みます。
建築業界から離れて10年間ずっと野菜ばっかり見てきて、久しぶりに設計図面と格闘し脳みそが耳から流れ落ちそうです。
でもやはり建築は野菜よりも楽しいな~、なんて楽しみながらやっていきます。

(2022年7月前半号より)
鹿屋小豆プロジェクト第1回生産者説明会を6月29日に開催しました。
鹿屋市報の広告欄に2か月連続で『小豆生産者募集』広告を出したかいあって20組ほどの応募があり、盛況に終えることができました。
かごしまんま敷地内には、生産者さんから買取した小豆の貯蔵冷蔵庫と製餡所を建築予定です。

93%が北海道産という小豆の世界。
でもその残りの7パーセントの産地はほぼ全国各地に広がっています。

鹿屋産小豆のあんぱんやたい焼きが食べたいな~。
鹿屋のランドスケープをほんの少し、変えていければな~。

(2022年7月後半号より)
鹿屋小豆計画、圃場の土壌分析をするの巻。
土壌の地質分析をしようと思い、生産者さん20人ひとりひとりにメールを送りましたが返事なんて来やしません。
メールの数だけ再度ひとりひとりに電話をかけて説明をしました。
するとそのおひとりおひとりが土を持ってきてくださって、ありがたいことにそれぞれかごしまんまで話し込んで帰って行かれるので、全員完了する頃には私の声はすっかり枯れきって人相も変わっていたとかいないとか(ウソです)。
その後おひとりおひとりの土をジップロック袋に入れ直し、ラベルを作成してどうにかこうにか鹿屋市役所の閉庁時間ギリギリに滑り込みセーフし、農政課に土壌分析依頼しました。

(2022年11月前半号より)
畑を耕すトラクターの上空でトンビたちが舞飛び、稲刈りするコンバインの後ろからアオサギがついて歩いている季節です。

猛烈な台風14号通過後の小豆。
心配でしたが、さすが鹿屋で繋がれてきた在来種。
つる性に近い植物なので、しなやかに強風をやりすごせたようです。
来年からの生産者さんスカウト活動するうえでの大きな自信となりました。

ただ、海に近い畑の小豆だけは台風後に徐々に枯れていってしまいました。
台風の風が海水を巻き上げて畑へ降らせてしまったのでしょう。
農薬を使わずに丁寧に栽培していたので、生産者さんがとてもお気の毒でした。

塩害が出た畑以外の小豆は順調に育って、鞘をたくさんつけていよいよ最終段階に入りました。
今後は、鞘の実を成熟させてから1ヶ月以上かけてカラッカラに枯らして乾燥させてから刈り取りです。

私は今月9〜10日にかけて福岡で開催される『food style 九州』に出展し、この小豆をじゃんじゃん営業してまいります。

私の粒あん修業もスタートしました。

かごしまんまマドレーヌでおなじみの大坂屋さんに1日研修させて頂きました。

あんこ作りは1回につき4〜7時間ほどかかるので、体力勝負でもあります。
豆をよく見ろ、香りの変化をみろ、ヘソを取れ・・・色々言われてきましたがちんぷんかんぷんです。
なんにもわかっちゃいないので、とにかく回数をこなして経験と勘を積むしかありません。


自宅で何度も小豆を炊いた

『まんまだより』からわかる小豆計画の歴史(2023年以降)に続く・・・。

2024年 1月 15日 Blog | クラウドファンディング活動報告

ここくさん2

アポ無しでお店に行って、リスペクトする加藤さんが不在だった前回

今回はちゃんと事前に(←行く直前だった)加藤さんにDMして、
「畑で大根の作業しているのでそれでよければ」(→意訳「畑作業しているのでできれば他の日に」)
と快諾して頂いた(←誤訳)ので、再訪問してきました。

畑の位置をgoogle mapで教えていただき、車で2時間後にたどり着いたその場所には、
何度も読んだ活動報告と同じ風景が広がっていました。


たどり着いたその場所には、あのビニールハウスとあの風景が広がっていました

ビニールハウスには新しい頑丈そうな遮光タイプのシートが張られていました。
活動報告の中の「この倉庫は今年こそ借金をして建て替える予定です。」の言葉どおり、新しい倉庫が建てられていました。

左が初代ビニールハウス、右が倉庫と車庫

実はこの倉庫の設計がすごいんです。
ここの畑は道路から建物の1階分くらい低い土地になるのですが、それを利用して車庫の上が道路と同じ高さになるように設計してあって、それが素晴らしい見晴台なんです。


倉庫と一体化した車庫の上は隣接する道路と同じ高さの見晴台にもなっていて、道路から直接2階に行けるようになっている

なぜ倉庫が2階建なのか。
それは農業機械の多くが高さ3m以上あるからです。
大豆の選別機、乾燥機、コンバイン・・・。みんな背が高いこと高いこと。
なので農業倉庫は2階建くらいの高さが必要で、2階の面積は吹き抜けが大半を占めています。

加藤さんは、その倉庫と車庫の軽トラの間にいました。


倉庫と軽トラのあいだに加藤さんがいました


大根の皮をピーラーで次々と剥いていました

見ると大根の形や大きさがバラバラです。


大きさも形もバラバラで、かぶのようにずんぐりむっくりな見た目の大根

「米良大根っていうんですよ。とても甘くて美味しい大根なのに、こんなんだから全然売れなくて。
切干大根にすると大好評でみんな待っててくれているほど。いくらあっても足りないくらい。」
と話してくれる加藤さん。

皮を剥いてから細切り状にした大根を、お日様が当たるネットに干しに行きます。


「重ねて干しても明日にはカラッカラに乾燥しているんですよ」と語る加藤さん

なぜ大根をやっているんですか?

「へ?」

だって加藤さんは大豆も麦もつくって、自分で黒潮のところまで汲みに行った海水で塩もつくって、味噌も醤油もつくって・・・。いっぱいやっているじゃないですか。
そのうえ切干大根までやる理由を教えてください。

「ああ。そういうことね。大豆と麦を交互に畑でつくっていると、ちょうど今の時期が空くんですよ。

なので大根をつくってます。

本当はこういう作業を誰かにやってもらえたらいいんですけどね。僕がやってたら色々なことが終わんなくなっちゃうんで・・・。もう力技でやっていますね。いつまでもこういうことじゃいけないと思うけど。つい数年前までずっと一人でやってきた。あと何年やれるのか。子供達に残せるものはなんだろうか、と思いますね」

なんでも自分で全部やってきたからこその、重みのある言葉。

その加藤さんに、私はたくさん色々な質問をしてたくさん話をしてしまい、気がついたら2時間半も経っていました。もっと早く切り上げればよかった・・・。
加藤さんの大切な時間を奪ってしまった・・・と帰り道は後悔と反省の波が押し寄せました(撃沈)。

最後に、加藤さんがクラファン成功して買うことができたコンバインを見せていただきました。


優しい眼差しの加藤さんと、コンバイン

丁寧に手入れされたコンバインが、倉庫の中で来季の出番を待っていました。
クラファン挑戦中の私にとって、加藤さんもコンバインもそれはそれはとても輝いて見えたのでした。

加藤さんにお会いして、加工品をつくる工程やパッケージの印刷やデザインにおける多くの疑問点が解決できました。
機械化やお金じゃないと解決できないと思い込んでいたことも、その多くが手作業でなんとかなったり、意外なアイデアで解決できるということを教えていただきました。

いつか必ず加藤さんデザインの商品をつくりたい!!

加藤さんがくださった貴重な時間を、必ず今後の経営に活かして、そして私も誰かの何かのお役に立てるようにもっと精進して頑張ろう、と改めて決意しました。

加藤さんの生き様は、本当にリスペクトです。
加藤さん、本当に本当にありがとうございました。
ここくさんの味噌づくり講習会、参加します!(←もはや熱烈な加藤ファン)
(今度こそ寡黙を心がけます!)

そうそう、かごしまんまユーザーの皆さんに嬉しいご報告です。
ここくさんの想いの詰まった商品を、かごしまんまでも取り扱うことになりました!

塩、味噌は満場一致で決定です(私だけで決めたけど)。だって日本一美味しいから。
あとなにがいいでしょう?
メッセージくださいね。

2024年 1月 15日 Blog | クラウドファンディング活動報告

素敵なタニアさん


門倉多仁亜さん

この活動を、ずっと応援してくださっている門倉多仁亜(かどくらタニア)さん。
そのタニアさんから、応援メッセージを頂きました!!

——–タニアさんから応援メッセージ——–

大隅半島の食材が一度に集う、鹿屋市が主催したイヴェントで山下理江さんと知り合いました。
たくさんのブースが並ぶ中、レトロな炊飯器が目に止まって、これはなんですか?と尋ねると、地元の小豆と教えてもらったのが最初でした。その小豆で炊いたぜんざいを味見させてもらったら、豆の香りがしっかりして、濃厚な味合い、とてもおいしく感動しました。
その後どうされているのかな~と思っていたら”どっさい市場”で偶然お会いして、「大変なんです。。。」とおっしゃっていたのが気になるつつその場はお別れ。
お盆には富久屋さんで”姫小豆”で作った餡のおはぎをみつけて嬉しくなりました。

物価高騰のなかの加工所建設が大変にもかかわらず、農家さんが育てた小豆を全量買取したい!と話す理江さんの言葉が心に残っています。
みなさま、小豆計画の応援、どうぞよろしくお願いします!

地元で育てた地小豆で作った和菓子が当たり前の未来が楽しみです。
その時はみなさんも大隅へ食べに来てくださいね。

———————————————-

嬉しいお言葉をありがとうございます!
タニアさんの存在がいつも私も励みになっております。

2022年2月。
鹿屋市主催『食と農業に関するフォーラム』というイベントがありました。
そこで大好きな電鍋で白玉ぜんざいをつくって会場の皆さんに振る舞っていたところ、メインのトークショーに出ていたタニアさんがその合間に来てくださって、まず電鍋を見て「レトロでかわいー!!」と褒めてくださったのが出会いでした。

電鍋は、台湾の人々が一家に2台は持っていると言われるほどのマスト調理道具です。
元々は日本のメーカーがつくっていたものだそうですが、今は大同電鍋という台湾の会社で製造販売されていて、日本でもサイトから購入できます。
熱源と鍋の間にカップ1杯の水を注いでスイッチを入れるだけの単純な構造で、蒸気の力で簡単に誰でもどんな料理も作れちゃう優れものです。
台湾の人々は、電子レンジよりもこの電鍋をこよなく愛していて、冷凍ご飯や冷凍おかずをあっためるのも、ご飯を炊くのも、様々な料理も全てこの電鍋を通過させます。いかに電鍋一つで色々な料理をいっぺんに済ませることができるか、日本人にはあり得ない発想で台湾の人々は電鍋を使い倒しています。
正規メーカーの大同電鍋さんが出しているオプションは数点ですが、台湾の雑貨サイトを探すと、この電鍋専用に使う便利なものがたくさんあります。
例えば日本人の発想は「電鍋に入らないトウモロコシは別の鍋で調理しよう!」となるじゃないですか。
でも電鍋をどうしても何がなんでも使いたい台湾の人たちの情熱はすごいです。デカいトウモロコシをどうしても電鍋で蒸して食べたい。そのためには・・・と考えに考えて、まるでシルクハットのような高さがある帽子のような蓋を電鍋専用につくって販売してしまうんです。
そうして電鍋にトウモロコシを立ててはみ出し気味に入れて、そのシルクハットのようなバカでかい蓋を被せる。トウモロコシシーズン以外はそのシルクハットは出番なし。それでもいい、って感じです。
そんな、電鍋への物凄い愛を感じるオプションが、正規メーカーじゃないところからたくさんあるのが、台湾のいいところ。
使い始めると奥が深くてめちゃくちゃ面白い調理道具が、電鍋です。

・・・・って、今日はタニアさんのお話でした。
いつもフルスロットルな脱線してホントすみません!!!


お気に入りの電鍋で白玉ぜんざいを振る舞っていました。

電鍋のレトロさを褒めてくれたタニアさんに、かのや姫小豆の説明をしながら白玉ぜんざいを振る舞うと、
「すごくいい活動ね。めちゃめちゃ応援したいわ!!そしてとっても美味しいっ!!」
大絶賛してくださいました。

TVや雑誌『天然生活』で料理家タニアさんのことを存じ上げており、東京から鹿屋につい最近移住した、ということも『広報かのや』で読んでいたので、そのタニアさんがかのや姫小豆のことを応援してくださるなんて、本当に嬉しかったです。

その後も偶然お会いすることがあり、いつも見守ってくださるように感じていました。
このクラファンの挑戦のことも、スタート前にご報告すると
「もちろん応援するわ。私は何をしたらいい?」
と涙が出るような言葉をくださいました。

そんなタニアさんにこの活動報告への応援メッセージをお願いしたところ、
「よかったらお茶に来ませんか?」と思わぬお誘いが。
タニアさんのご自宅にお伺いすることになりました。

タニアさんの家は『広報かのや』の記事には洋館だと紹介されていたので、洋館を探して車を走らせたのですが、通り過ぎてしまいました。
心配したタニアさんが道路に出てきてくださったのでホッとしました。


笑顔で迎えてくださったタニアさん

タニアさんは話し方も笑顔も優しく上品で、さりげないスカーフがとても素敵でした。


あまりに周囲に溶け込みすぎて、洋館とはすぐにわからない外観でした。

目の前に現れたタニアさんのご自宅は、まだ築10年ほどなのに、集落の家々と溶け込んでいて、よく見るとちゃんと洋館で、でも屋根瓦と軒下の造りは日本家屋のそれで、銅製の雨樋が青く経年変化していて、木製の鎧窓や石畳もずっと昔からそこにあったような、そんな風情を醸し出していました。

建築が大好きで2級建築士の資格を持っている私は、素晴らしい建築に出会うと背中がゾクゾクするのですが、タニアさんのこの家を見た瞬間、背中がまさにゾクゾクして感動を覚えました。

ワーッ!キャーッ!すごーい!と感動しまくって声に出す私。
そんな私を嫌な顔ひとつせず、丁寧に案内してくださいました。


タニアさん手づくりのお菓子

「ドイツのクリスマスはケーキではなくクッキーを作って、缶に入れておくのよ」
と教えてくれながら、美味しいコーヒーとクッキーをいただきました。

2時間くらいおしゃべりさせて頂いたでしょうか。
とても幸せなひとときでした。


小さなランの鉢と石壁の隙間から自然に生えた植物がこれまた素敵で愛おしい

恥ずかしながら私はタニアさんを著名な料理家でたくさん料理本を出している方としか存じ上げなかったので、タニアさんの家や庭、そしてシンプルで素敵な年月を経た家具類や数々のセンス溢れるしつらいを見て、タニアさんやこの家のことをもっと知りたくなりました。

そこでタニアさんの本をネット検索してみると、お料理だけでなくインテリア関連の著書もたくさんあるではありませんか!
その中の1冊が、この鹿児島の家のことを書いてあったので、Kindleで購入し夢中で一気に読みました。
田舎にいても、読みたい本がインターネット上で瞬時に電子書籍で読めるのは、現代の凄さですね。


タニアさんの鹿児島の家づくりと、住んでからの家との向き合い方が書かれている本

【ドイツ式 心地よい住まいのつくり方】
この本を読んで、タニアさんとご主人の建築や家具に対する向き合い方にますます敬意を持ちました。
設計した方や大工さん建具屋さんにもお話を聞いてみたくなりました。
タニアさんの家を見た瞬間に、背中に感じたゾクゾクするような感動の源泉が、この本に詰まっていました。
そして、ドイツの人が家の中に人を招いてお茶するのはとても普通で、だからこそ家の中がいつも綺麗なのだ、ということも書かれていて、なぜタニアさんが私をお茶に誘ってくれたのかも少しわかった気がしました。

久しぶりに大好きな建築の世界に浸ることができました。

タニアさん。すごくすごく素敵な方です。リスペクトです。出会えてよかったです。
私の活動を、応援してくださっていることに感謝です。

昔からよく変な人と言われるし人見知りもすごい私ですが、タニアさんの気さくな性格の前ではリラックスしておしゃべりできました。
(タニアさん、すみませんでした!)

タニアさんの応援を絶対に裏切ることのないよう、切望する素敵な鹿屋の未来に向かって頑張ります!!
頑張らなきゃ!!


タニアさんと。思い出の1日となりました。

皆さま。
いつもコッテリとした長文を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

2024年 1月 9日 Blog | クラウドファンディング活動報告

ニュース記事になりました。

皆さまいつも応援してくださり、本当にありがとうございます!

今日の南日本新聞に、私の活動が掲載されました。

鹿児島以外の皆さまにご説明させていただきますと、南日本新聞は鹿児島県で一番読まれている新聞です。
関東などの都市部で一番購読者数が多いのは、読売新聞でそれに次ぐのは朝日新聞ですが、地方では地方紙がこの二強を抜いてぶっちぎりにどの家庭でも読まれている、ということがあります。

鹿児島ではどの家庭も南日本新聞をとっています、といっても過言ではないほど、新聞購読者数のシェアは南日本新聞がダントツです。

私は千葉から移住した2011年当時は、千葉で読み親しんでいた読売新聞をとっていました。
しかしローカルなニュースやお知らせやコラムが南日本新聞のほうが圧倒的に多いんです。
対して読売新聞や朝日新聞は全国的な記事が多く、地方版ページは見開きの半分程度。
鹿児島の外には滅多に行かない鹿児島の田舎に住むと、南日本新聞の方が身近な地元ニュースがたくさん充実していて面白いことが、鹿児島に住むうちにわかってきました。

南日本新聞社は支局が鹿児島の各地方都市にあるので、ローカルなニュースに対する取材のスピードも早いです。
知人が新聞に出ることも普通にあり、鹿児島の人々の新聞に対するハードルは関東よりもかなり低いです。

今回ありがたいことにじっくり数時間かけて私の活動を取材してくださって、大きく掲載してくださいました。
便利な時代なので、ネットでも読むことができます。

南日本新聞社サイト373news.com
「消えゆく伝統農業と種を守りたい」…福島原発事故で父の故郷へ移住、食材をネット販売する社長の思い
よかったらぜひご覧ください!

関連してYahoo!ニュースもデビューしました( ^ω^ )/

新聞に掲載されると、地元の方々からも関心を持っていただけるので、本当に有り難いです。
残り23日。
皆さんの応援を胸に、いっそう頑張ります。

ご支援、本当にありがとうございます。

2024年 1月 8日 Blog | クラウドファンディング活動報告

地方都市の、切望する未来のために

まずはお礼を申し上げます。
皆様のご支援により、目標の60%を達成しました。
本当に本当に感謝しかありません。
ありがとうございます!!!!
残り25日です。応援を胸に、もっともっと頑張って参ります!!!

今回はちょっと難しい話です。すみません。

ここ20年くらいのあいだに、地方都市はどこへ行っても既視感すら感じるほど同じような風景になってしまいました。
大型ショッピングモール、ファストファッション店、ドライブスルー併設のファーストフード、ファミレス、コンビニ、大型電気店、大型書店、大型紳士服店、大型酒販店、大型スーパー、ディスカウント店、全国展開のお菓子屋さん、100円ショップ・・・。
ここ30年くらいの間でどこの地方都市の郊外の主幹道路に、こういった店舗が大型駐車場完備で同じように立ち並ぶようになりました。

同時にひっそりと、でも急速に消えていっていったのは昔からそこにあった小さな個人店。
個人店は大きな駐車場を持たず、お客と1対1のお互いに顔や様子がわかる、その土地に根付いた商売をしていました。

しかし新しくて華やかで便利なものに惹かれるように、人々は全国展開の大型店舗に通うようになりました。
個人店が立ち並ぶ商店街の多くは、みるみるうちにシャッター街になっていきました。

日本の景気もここ20年間ずっと下り坂で、消費税はじめ色々な税金も年々上がっていき、コロナ禍や物価高が追い打ちをかけ、人々の可処分所得が減り、便利で安価なものが主流になっていきました。
スマホの普及で情報や娯楽の多くが無料でスマホひとつですむようになり、電車の中で雑誌や新聞を読む人が消えました。
そうして雑誌がどんどん休刊に追い込まれ、新聞部数も急速に減りました。
世の中が不景気になるにつれて洋服のデザイナーズブランドの多くも消えました。
すると今度は、商店街をシャッター街にした原因であるデパートやスーパーが次々と地方都市から閉店していきました。

地方都市は今、シャッター商店街と廃墟のような大型店舗跡地が目立ち始めています。
個人商店街が活き活きとしていた一昔前なら、高齢者もなんとか地元で買い物ができていました。
しかしながら現在は、車を運転できない高齢者の買物困難問題が全国の地方都市の喫緊の課題となりつつあります。

これは、国が高度成長期に定めた都市計画法にも原因があるように思います。
都市計画法は用途地域の区分で、各地域の一番便利なところに『商業地域』や『近隣商業地域』という地域を指定しました。周囲の住民が銀行や飲食店に行ったり日用品などの買い物をする地域です。
なので駅前や街の中心部に『商店街』が形成されたのです。

しかしこの都市計画法は昭和43年に制定されたもの。
当時の高度経済期かつベビーブームな光り輝く日本と、大不況と高齢化社会まっしぐらな現在の日本とではあまりに状況が違います。
街の中心部や駅前は、高齢者にとっても便利なところ。そこがシャッター街になって、しかも後から進出してきた大型スーパーやデパートも撤退されて、一番便利なものがどんどん郊外にシフトしてしまった地方都市の衰退化を、今ここで踏ん張って食い止めてなんとか流れを変えていかないと取り返しのつかない未来が私達を待っています。

便利なものは、車を使うかネットショッピングでしか手に入らない地方都市。
地方都市には電車がないところも多く、頼りのバス会社も経営難と人手不足に直面しています。
車の運転やネットが使えない高齢者は、地方都市で生きていくのが困難になりつつあります。

実はここ鹿屋市も、街の中心部にあった唯一のデパートが閉店して、大きな店舗と大型駐車場がまるごと廃墟のようになって、風景を暗く変えてしまいました。

誰もがいずれ必ず高齢者になります。
歩いて買い物ができる昔ながらのお店や商店街の意義や価値を再確認すべきではないでしょうか。
地元のお店の魅力を再認識したり新しい魅力をUPしたりして地元経済を積極的に回すことこそが、持続可能な地域社会への第一歩だと思うのです。

実は農業も同じ構造です。
昔は地産地消が当たり前で、もっというと交通網が発達していない時代の地方都市は、おそらくどこも食料自給率100%だったのではないでしょうか。
でもどんどん大型農業に集約されてしまって、価格競争で輸入農産物に急速に切り替わっていきました。
いざ供給国が戦争や大災害に見舞われると原料クライシスに即陥ってしまう脆弱な国が日本だということ、もっというと日本自体が戦争に参加するようになれば飢餓がすぐ迫るのだということを、私たちはウクライナ戦争でまざまざと思い知らされました。
小さな地元の農業の意義を再確認し維持していくことが重要で、それが日本の食料自給率UPにつながり、いざという時の日本の命綱にもなります。

・・・もはや活動報告とは全くかけ離れていますね。
すみません!!

大型店や大規模農業や輸入品は便利で安価なので、ついつい私たちはそちらを利用しがち。
でもそれらは利益が出ないと即撤退していきます。
シャッター街と大型店舗の跡地と耕作放棄地が増えていく地元の未来。
そうなる前に、私たちは地元経済の持続化を真剣に考えていくべきだと思うのです。
地元で繋がれてきた小さな小豆に『かのや』を名前の一部にしたのは、そういう想いを込めています。

なんなら小豆だけでなく、小麦も、大豆も、蕎麦も、ごまも、そのほかの雑穀も、地元の農産物でつくった昔ながらの加工物が地元の経済をまわし、その地域の魅力を彩り特色づけていく。
そういう活動が全国各地で広まれば、地方都市が持続可能な経済になっていくのではないかと本気で思っています。

それが私の、切望する地方都市の未来です。
地元鹿児島のお店で、かのや姫小豆や鹿屋産農産物のお菓子やパンや惣菜が当たり前のように買える未来。
元気な鹿児島。元気な鹿屋市。
いずれ必ずやってくる超高齢化社会も、地方都市の経済が明るい未来であることを切望しています。

・・・話はちょっと脱線気味に拡がっちゃいますが、各地域の学校給食や病院食や介護施設などの団体食の材料を、もっと地元産オーガニックなものへと推進すれば、食料自給率や有機農業へのシフト化が革新的に進むことがわかっています。
ヨーロッパや韓国の給食のオーガニック化や千葉県いすみ市をはじめとした全国各地の給食のオーガニック化でどんどん実践されてそれが証明されてきています。
でもそれには給食や団体食への無償化や補助が欠かせません。
国や地方自治体が本腰入れて取り組まないとできません。

食料自給率UPと有機農業率UPは、どの事例も給食の無償化がセットになってはじめて成立していっております。
なので小豆計画は鹿屋市の給食のオーガニック化運動にも積極的に参加しています。
鹿屋市の給食がオーガニック化へとシフトすれば、ここ大隅半島の農業はガラリと変化することでしょう。
(鹿屋市の学校給食に、かのや姫小豆のお赤飯が出たらどんなにか幸せな出来事になるだろーなー)

有機農業は地球温暖化への食い止めにも役に立つと言われていますが、こういう話をしていると私は止まらなくなるので、ここでは割愛します。

偉そうに理想論を振りかざしてしまいました・・・・。
しかしそんなこと言う前に・・・・・小豆計画が本当に本当に今まさに大ピーンチです!!!!!

今日、生産者さんのお一人から報告を受けました。
「1町1反ほど栽培してほぼ全部うまくいったので、今年は1800kgできそうです!」
わあすごい!・・・ということはえーと、900円/kgだとして160万円が必要ですね!!!涙!!!
まさに文字通り嬉しい悲鳴ですが、なんとしてもこのクラファン挑戦を絶対に成功させねばなりません。

どうか変わらぬ応援と、そしてできれば周囲にお知らせして拡散もお願い頂けないでしょうか。
無理を承知で、この無謀な大馬鹿者にご支援を、どうかお願いします!!!
ご支援を裏切ることなく、必ずやり遂げます!!

株式会社かごしまんま
山下理江

2024年 1月 7日 Blog | クラウドファンディング活動報告