【あと1日!】地小豆生産の原点・肝付町の山あいの農家さんに粒あんを届ける

概要の冒頭でご紹介した肝付町の山あいの農家さんたちに、今の活動を報告しに行ってきました。
今日つくったばかりの粒あんと小豆計画のフライヤーを持って。

あのおばあちゃんたちに会うのは2019年以来。
その後の私が小豆生産を復活させるために生産者さんを集めたり製餡所を建てたりクラファン挑戦していることは、もちろんおばあちゃんたちが知る由もありません。

肝付町川上地区へ。

軽く秘境です。

携帯電話の電波も届かなくなっていきます。
秘境へとフルスロットルです。


棚田も広がります。


山と水が豊かな地域

川上地区で唯一のお店、やまびこ館。
その農家さんの小豆に初めて出会ったのが、ここでした。
お店の人が農家さんに繋いでくださったんです。

今日は月曜日で定休日でした。

その向かいにある肝付町立川上中学校は1949年建立の木造校舎で、国の登録有形文化財です。
2012年から生徒が通うことはなくなり、廃校となりました。


廃校となった肝付町立川上中学校は、戦後すぐの建立で国の登録有形文化財でもあります。

そこを抜けて数km行くと、農家さんの家があります。

毎年、小豆を取りに来た農家さんち。なーんにも変わっちゃいません。

「こんにちわー!!すみませーん!!」
何回か大声で叫ぶと、おばあちゃんが出てきました。

「お元気でしたか!会いたかったです!
 おばあちゃんが小豆つくれなくなってから、
 鹿屋で小豆生産チームを立ち上げて、
 製餡所建ててあんこ作ったんです!
 おばあちゃんが原点なんです。
 おばあちゃんが小豆をつくってくれていたからこそ、
 それを繋いで、あんこをつくっていくことになりました。
 今日はそのあんこを持ってきました。食べてください!」

私は矢継ぎ早におばあちゃんに報告しました。
最後は泣きながら言ってしまい、おばあちゃんももらい泣きしていました。


おばあちゃんと再会して報告してあんこを届けることができて、泣きながら撮った写真

既に夕方。日が暮れると真っ暗になってしまうので、もう1軒の農家さんには、おばあちゃんが粒あんを届けてくれることになりました。

しかし帰り道の途中で電話が鳴りました。そのもう1軒の農家さんからでした。

「あんこ本当にありがとうね!!!
ところで小豆があるんだけど、いらんけー?」

なんと、もう1軒の農家さんはまだ小豆をつくって繋いでいたのでした。
もちろん引き返しましたよ!!


引き返してもう1軒の農家さんに到着すると、小豆を出して待っていてくれました。


たくさんの小豆が!!

変わらず小豆があって、あの頃に戻ったかのような感覚に陥りました。
でもあの頃の自分とは全く違う目で、全く違う気持ちで、小豆を見ました。

あの頃は、ただキレイになった小豆を仕入れに行っただけ。
でも自分自身が数年間、小豆生産と製餡にたずさわってから見た小豆は、それはそれは尊くキラキラしていたのでした。

農家のおじいちゃんおばあちゃんともそれをたくさん話しました。
「自分がやってみて初めて、小豆がどんなに大変かわかりました。
 毎年毎年本当にありがとうございました!」
「だよねー。小豆は栽培も大変だけど、収穫してからがまた大変っちゃもんねー!」
「はい、これからも小豆を繋いでいきますね」

しかし分けていただいた小豆をよく見ると、かのや姫小豆と違って、今回の小豆はなんだか粒が少し大きく色が薄い感じです。違う品種のようでした。
でもこれもまた昔からずっと繋いできた小豆とのこと。
タネの大切さをもうたくさん知っている私は、この小豆もまた大切に繋ぐべきものだとわかります。


よく見ると、鹿屋の小豆とちょっと違い、薄い色で大粒な小豆


おじいちゃんおばあちゃんと記念写真

私が持っているビニール袋は、収穫したばかりの椎茸。
「さっき取った椎茸、持ってかんね?」とたくさんお土産にくださいました。


袋の中身はたくさんの採れたて椎茸

山奥では基本、なんでも自給自足。
鹿児島では、自家用に雑木林の中で椎茸を原木栽培している人が多いです。
これが本当にごちそうなんです。

そして、漂う薪の香り。
なんとこのおじいちゃんちは、お風呂が昔ながらの薪で炊く五右衛門風呂。
夕方なので、薪を炊いてお風呂を沸かしていたのでした。


赤く見えるのが薪を燃やしているところ。この壁の向こう、薪の上あたりにお風呂の釜があってその中のお湯を沸かしている。


左側が五右衛門風呂、右側が薪をくべて炊く釜


五右衛門風呂のアップ。歴史館の展示ではなく、まさに今日も明日も現役で使われるお風呂。


久しぶりに会えて、小豆の話をたくさんして、とても嬉しそうなおばあちゃん


家の敷地内も軽く高低差があって、なんだか楽しい。昔懐かしき良い時間が流れる土地、川上地区。

帰宅する頃にはすっかり暗くなってしまったけれど、とても幸せな時間でした。


街灯もあまりないので日が暮れるとホント真っ暗な、ここ鹿屋市。

山あいの自給自足が普通な地域だからこそ、まだまだタネという人類の宝物がたくさん繋がれている土地、肝付町川上地区。

大切なものをまた知ることができたような、そんな時間でした。

2024年 1月 30日 Blog | クラウドファンディング活動報告