【達成御礼】クラファン終了しました

NEXT GOALを達成しました!!!
ありがとうございました!!!
長かったようであっという間だった52日間でした。
皆様の1つ1つの応援があったからこそ、達成することができました。
本当に本当にありがとうございました。
生産者さんへの全量買取資金として大切に使わせていただきます。
そして、事業の健全化と1日も早く軌道に乗ることに全力で努めて参ります。

皆様の応援に恥じぬよう、頑張ってまいります。
どうぞこれからも小豆計画を見守ってください!!

タネは地域の宝。
タネはみんなのもの。
タネは、守って、繋いで、私たち人類が正義と責任を持って次世代に渡していくべきもの。
タネは、科学の力で変化させてはいけないもの。

固定種のタネを守り繋ぐ活動が、ムーブメントが大きく広まっていきますように。
鹿児島県鹿屋市の地より、感謝と願いを込めて。

株式会社かごしまんま
代表取締役 山下理江

2024年 2月 8日 Blog | 小豆計画

【MBCラジオおおすみーてぃんぐ】に出演します!

本日、ローカルラジオ出演します。
1/4(木) 17:15〜 MBCラジオおおすみーてぃんぐ
鹿児島の方、ぜひ聴いてください。

\TVラジオ取材の様子も活動報告UP‼️/
ぜひクラファンの応援もお願いします‼️

1/12(金) 15:49〜 MBCテレビ かごしま4
も出演予定です。

クラウドファンディング【鹿児島の地小豆を復活させて、地元農業とスイーツを盛り上げたい!】

2024年 1月 4日 Blog | 小豆計画

ここくさん

クラファン挑戦直前の11月にあった『オーガニックフェスタかごしま』。
『おおすみ百姓の森』の一員として私は出店していました。

休憩時間にぐるっと会場内を見て回っていたときふと、『ここく』さんのブースに目が止まりました。
在来種の極小な大豆や麦を自然栽培でつくってそれを味噌などの加工品にしている、との説明を受けました。

「私も在来種の小豆の復活生産して粒あんつくってます!」と私が言うと、
店主の加藤さんはとても嬉しそうに「大変ですよねー、でもすごくいいですね!」と言ってくれました。

嬉しくて話し込んでいるうちに「実はクラファンに来月から挑戦するんです、不安で・・・」と気持ちを打ち明けたところ、加藤さんから驚きの返答が!!
「実はちょうど去年の12月、僕もクラファン挑戦しました」
えっ!?本当に?!どこで?いくら?
矢継ぎ早に質問してしまいました。

なんとレディーフォーでプロジェクト名『先人からの贈り物、古代からの貴重な大豆をこどもたちへ』で1,000万円のコンバインを買う挑戦をして見事達成したとのことでした。
https://readyfor.jp/projects/53490

「めちゃくちゃ大変ですが、絶対に達成できますよ。頑張って!!」と加藤さん。
私は瞬間、涙腺が緩んでしまいましたがキュッと締め直し、頑張って笑顔をつくって握手してもらい、元気と勇気をいただいて帰りました。

後日、加藤さんのプロジェクト概要とその活動報告の全てを読んでみました。
プロジェクトの内容と加藤さんのたどった歴史が、自分のしてきたことといくつも共通点があって、でも自分なんかよりずっと加藤さんは大変なことをしてきていて、それはそれは壮絶な日々なのでした。
自分のちっぽけさと俗物さに、ガーンと石で殴られたような気持ちになりました。

ここまでの覚悟が私にあっただろうか。
もっともっと、自分がしてきたことをわかりやすく伝わるようなプロジェクト概要にしなければいけない。
自分のプロジェクト概要のつくり込みがほぼ完成だったのですが、レディーフォーの担当さんにお願いして、公開日を遅らせて、大幅に変更修正しなおしました。

そして、近いうちここくさんを訪ねてみよう、と心に固く誓っていました。
とはいえうちも一年で一番忙しい12月。
なかなか行けない日々が続き、やっと今日実現できる!と思い、加藤さんに連絡したら「僕は今日は延岡です」とのお返事。

でもやっぱり行ってみたい。

リスペクトしている加藤さんに会えなくても、ここくのある土地や空気、そしてお店の商品やスタッフのお話、色々感じてなにか学んできたい、と思って行くことにしました。

ここ鹿児島県鹿屋市から、ここくさんのある宮崎県清武町まで車で片道3時間弱。
もうすぐ到着するというナビ、広がる風景はこんな感じでした。


昔から佇むような橋と緩やかに流れる川、遠くに見える山々


昔からあるような道路の両側に古い家が立ち並ぶ小さな集落に、ここくさんはありました

出迎えてくれた笑顔の素敵な女性に「小豆計画の山下です」と言うと、「ああ!!」と言って奥に向かって「あの小さい小豆の人が来たよ!」と叫んで、もう一人の女性を呼んでくださいました。オーガニックフェスタかごしまで加藤さんと一緒に店頭にいた女性でした。

お二人とも、笑顔が本当に素敵

とても素敵なお二人の笑顔だったので、この瞬間を写真で切り取って記録に残したいと思いました。
会ってすぐなのに、写真撮影をお願いしてしまいました。
お仕事を誇りに思って楽しんでいる、それが滲み出るような素敵な笑顔でした。


想いのこもった商品がたくさん

狭いながらもセンスある店内。さすがです。
(加藤さんはデザイナーでもあります)

たくさんお話を伺いました。


味噌づくり中でした

厨房も素敵な空間で、昔ながらの道具類を大切に飾ってあり、羨ましくなりました。

たくさんお話を聞かせていただきました。
抱えるご苦労や手繰り寄せられるご縁にも、たくさん共感しました。
大豆や麦の脱穀や選別もやはりとても大変だということ。
近所に船を持っている人がいた縁で、その船に乗って黒潮の流れる沖まで海水を汲みに行ってそれで塩をつくることまで可能になったこと。塩づくりに近所の方が携わってくれていること。
近所に創業80年の醸造所があった縁で、麹もつくることができたこと。
でも今年の秋まで雨が多かったために塩がたくさんつくれず、そのため味噌づくりにも影響が出てしまったこと。

その土地に昔から繋がれてきた在来種の種を分けていただき、その土地で自然栽培して収穫し、選別し、地元の人々との運命的な縁があって、協力があって、味噌や塩や醤油などの加工品になっていくその過程。

本当に素敵です。

加藤さんがここまでこだわって塩までつくるのなら、私も自分でサトウキビ生産からの粗糖作りを真剣に考えないといけないな、とも思ってしまいました。

この次は加藤さんのいらっしゃるときにまたきますね、と約束して気になる商品を全て買って帰りました。


ここくさんの商品は、どれも愛が滲み出ています。

買ってきた商品を改めて自宅で並べて見てみました。
ものの作り手がデザイナー自身だと、こんなにも作り手が伝えたいことが商品から滲み出てくるものなのか、とまざまざと実感させられました。

そしてちょっと舐めてみた塩にびっくりしました。


まるで雪のような、ここくさんの塩『沖の潮』

なんとこれまで食べてきたどの塩よりも、甘かったのです。
塩が甘い?びっくりして何度も舐めました。
こんなに柔らかくて甘くて、澄んだ旨みのある味わいの塩は初めての経験です。
あまりに美味しいので、何回も何回も舐めていました。
今も舐めながらこれを書いています。
何度舐めても甘みのある塩でした。

黒潮の流れる沖まで汲みに行った海水からつくった塩は、格別な味わいの特別な塩なのでした。

たくさんの学びと刺激を頂いた、ここくさん訪問でした。
ここくの皆さん、ありがとうございます。

2023年 12月 18日 Blog | クラウドファンディング活動報告

地元の食材通販なのに、地元に貢献できないジレンマ

2011年に千葉から移住して立ち上げた、九州野菜食材通販かごしまんま。
当初は「地元鹿屋市の野菜食材を中心に、添加物を使用しない商品ラインナップにしよう!」と決めて、地元にたくさん貢献しようと商品を探しました。
(※鹿屋市は「かのやし」と読みます)

ところがすぐにそれは困難な道のりであることに気がつきました。

その理由は、鹿児島のソウルフードである甘い醤油。

鹿児島では伝統的に甘味料が入った甘い醤油を日常的に使用しています。
煮物、焼き物、豆腐や刺身、食卓にある醤油、ありとあらゆるものに甘醤油が使われています。
なので地元で販売されている加工品の大半にこの甘醤油が入っています。
しかしこの甘醤油の甘味料が、ほぼ全てサッカリンなどの人工甘味料。

甘醤油が鹿児島のソウルフードなのは、南国の気候を考えると理解できます。
しかしどうして砂糖ではなく、サッカリンを使用するのでしょうか。

醤油製造業の知人に聞いたところ、砂糖はサトウキビという植物から精製されるので、圃場や作付け年度や時期など色々な要因で糖度やミネラルが変化します。それが醤油作りの場では「安定していない」ということになり、砂糖が敬遠されてしまうのがひとつ。人工甘味料なら常に一定なので甘醤油づくりが安定します。
もうひとつの原因は、サッカリンの甘みが砂糖の1万倍であるということ。
つまりサッカリン1滴で砂糖10kg分ということになり、それだけで原材料費が大幅に違ってくるのです。

移住者である私が鹿児島の伝統的なソウルフードに対して「人工甘味料ではなく普通の砂糖が入っている甘醤油に変えていきませんか」とは言えません。
甘醤油は、鹿児島そのものの味で、鹿児島に生まれ育ってきた人々の故郷の味なのです。

かごしまんまに加工食材を紹介してくださる方や持ち込んで来られる方も時折いらっしゃいます。
しかし試食すると甘醤油特有の人工甘味料の甘さが舌にチリッと残ります。
そうすると申し訳ない思いでいっぱいになりながらお断りしなければなりません。
そういうことが続くうち、かごしまんまの加工食材のほとんどが地元ではなく九州各地のものとなっていきました。
本当はもっと地元に貢献したいのに、といつも思いながら。


『杉樽仕込み本醸造醤油』の杉樽

これは、出水市の醸造所の杉樽です。いわゆる『杉樽仕込み醤油』の杉樽です。確か高さが5mありました。
鹿児島県内で唯一、甘くない醤油を作っていたこのメーカーさんから本醸造醤油を仕入れていましたが、数年前に高齢化と人材不足のためやむなく醤油づくりをやめられました。
最後のロットでは、ラベルが不足して商品として出せないものも含めてかごしまんまでたくさん買取りし、製造終了を惜しみました。

現在かごしまんまでは、大分の醤油メーカーさんから甘くない醤油を仕入れて販売しています。

そういう10年を経てきたので、どうしても鹿屋に貢献していきたいという想いを込めて、名もなかったこの地小豆を『かのや姫小豆』と名付けました。

2023年 12月 17日 Blog | クラウドファンディング活動報告

12月はずっと『年末の』出荷日

食品小売業にとって12月が1年で一番忙しい月であるということを忘れていました。
まさにその12月にクラファンを始めていました。

金曜日の今日は出荷日。
普段の1.5倍の注文数。そのひとつひとつの注文量も普段の1.5倍になるのが師走。
そしてそれをひとつひとつ目的地まで運ぶ配送業者さんたちの物流量も既にパンク寸前だとか。
最終集荷に来た宅配便のドライバーさんの目も死んでました。

加えてクラファンへの並々ならぬ緊張。
スタッフにいつも以上に負担をかけてしまいました。
反省。


今日の出荷作業。プレハブ冷蔵庫内に作業室があるので1年中寒いし薄暗い。

通販サイト『かごしまんま』には野菜セットをはじめパンや卵や豆腐や納豆、お肉、昆布、ワカメ、お茶、調味料、米まであらゆる九州産食材を選べてひとつの段ボールに15kgまで冷蔵便で送ることができます。
野菜セットと色々な食材をなんとか工夫して、壊れないように傷まないようにひとつの段ボールに詰め込む作業は、熟練の技が必要です。


野菜セットだけでダンボール体積の半分くらいを占める。

↑この野菜セットに、↓この色々な食材を詰め込んで1箱に丁寧に詰め込んでいきます。

ご注文内容の一例。野菜セットが入る段ボールに同梱して、1箱に納めないといけない

卵や割れやすいものには、クッション材を使います。肉類や乾麺など重くて壊れにくいのは最下部へ。
潰れやすいパン類や豆腐や葉物野菜は最上部へ入れます。
数も間違えないように、大変神経を使います。
一般的なお店というのは、傷みを発見したら気軽に返品しに行けます。
ところがインターネット通販はお客さんとの実際の距離が遠すぎるため、それができません。
間違えたらそのつど送料をかけて、野菜や商品を交換することになるので経費がかさみます。
なので出荷作業というのは、大変神経を使う作業です。

12月はその他の仕事も非常に大変で、夕方からようやく事務作業。
今日はなかなか帰れないのではないかと心配したほどでした。

今日は早く寝ることにします。

山下理江

2023年 12月 15日 Blog | クラウドファンディング活動報告

かごしまんまを立ち上げたきっかけ

2011年3月11日。
私は勤務していた千葉県内の小さな建築会社で、あの大きな揺れを経験しました。

当時、勤務していたその会社にはなぜか世界一バカでかいメインクーンという猫が2匹いて、ちょうど机に図面とその猫を広げていたところでした。
大きな揺れにビックリすっ飛んでいった猫と図面に代わって、あらゆる書類ファイルや分厚い本たちが机と床に雪崩れ込んで机の上に積み重なる光景に、ただただ呆然としました。
すぐに保育園に子供達を迎えに行くと、園の全員の子供達が防災頭巾を被って送迎バスの中で待機していました。
あちこちで電柱や塀が倒れ、信号機は停電し、電車も止まってました。
ガソリンスタンドには数キロの行列。
東京から延々と歩いて帰ってくる人。
千葉の郊外タウンはあらゆる機能を停止させていました。

ほどなくして原発事故が起こり、スーパーやホームセンターから食料や水やトイレットペーパーなどの日常生活用品が消えていきました。
市から「乳幼児には水道水を与えるのを控えましょう」的なお知らせがきたり、小松菜やほうれん草や椎茸の出荷制限が出たり。
調べれば調べるほど心配になることばかり。当時は情報もニュースも錯綜していました。
雨も土も食料も水も何もかも怖くなってしまいました。

そんななかで両親から毎週のように送られてきた季節の野菜と食材と牛乳。
段ボールいっぱいに詰められていました。
父が東京消防庁を定年退職した2006年、両親は千葉から父の故郷である鹿児島へとUターン移住して、家庭菜園や魚釣りで老後ライフをエンジョイしていました。
届いた段ボールを開封するたびに、涙が溢れ出ました。

経験したことのない状況下で悶々と過ごしていた矢先。
鹿児島に住む両親から、1本の電話がかかってきました。
「健康診断でね、お父さん膵臓癌なんだって。色々転移しているんだって。」
その後の会話はもう何も覚えていません。
電話の後、大泣きしたのは覚えています。

母は埼玉の出身で関東育ち。全く鹿児島では土地勘がありません。
しかも身体上の理由で車の運転免許を持っていません。
電車のない鹿児島の大隅半島で、母が一人で余命わずかな父の看病をしながら暮らしていくのは、明らかに困難でした。


電車はないが、フェリーはある鹿児島。桜島フェリーは噴火時の防災を兼ねて24時間15分おきに運行している。

とはいえ、私も千葉生まれ千葉育ち。
建築士と宅建の資格をとって、やっとなんだか安定してきたところに大地震。
田舎ではそんな資格は役に立たないだろうこと、そして仕事を見つけることは難しいだろうことは容易に想像できます。

鹿児島で、私に何ができる?
何をすれば、やがて来る父の死を乗り越えられる?

変わらず毎週のように届く食材と野菜。
ふと、思いました。
『私と同じ気持ちや不安を持つ人に、鹿児島から野菜や食材を届ける仕事をしよう!』

2011年12月。鹿児島へ移住し、株式会社かごしまんまを設立しました。
お金を全く持ってなくて、登記しただけで資金ゼロになりました。
最初は一人で全部やることにしたので、HPを自分で作り込んでいたのでは、取引先の獲得や営業ができません。
そこでパワーポイントで会社案内と経営計画をつくって印刷し、鹿児島銀行の窓口に持ち込みました。
2011年当時の鹿児島の大隅半島ではパソコンが普及しておらずスマホもない時代。インターネット上で注文を受けてそれを宅配便で送るシステムは、農家の皆さんはじめ、銀行の担当者までがあまりピンときていない様子で、実店舗を持たないネット上のお店を説明するのにはとても苦労しました。
それでもなんとか融資を受けることができ、通販サイトを開設し、2012年3月に最初の野菜セットを発送することができました。
記念すべき最初の出荷は5セット。
この5セットを見届けて父はまもなく歩けなくなり、2012年4月に他界しました。

当時はツイッターでお知らせして、それを見てくださった方々が拡散してくれて、だんだんと注文が多くなって自分一人ではできなくなってきました。
そこで東京から同じ時期に移住してきたみきちゃんが仕事を手伝ってくれるようになりました。


地元の農家さんから仕入れる野菜をセットにして出荷前日につくっていきます。


2013年当時の実際のご注文。野菜セット以外にも色々商品を取り扱ってきました。

ここ鹿児島の野菜はワイルドな大きさで虫の穴もたくさんあるばかりか、虫本体やカタツムリまでくっついていたりもします。
たしかにそれはあまり気持ちの良いものではありません。
でもちゃんと考えれば、それは農薬があまりかけられていない証拠。

また南国鹿児島では、夏にはキャベツやニンジンや玉ねぎや大根が姿を消します。
でもちゃんと考えれば、冬野菜が夏に消えるのは自然界にとって当たり前のこと。

当時の関東のスーパーの野菜は皆キレイで同じ大きさのものばかり。
いつも季節問わず全ての野菜が揃っていました。
なので夏場になると、お客さんからよく九州産のキャベツや大根が欲しいとリクエストされました。

・・・無理だっつーの!!という言葉はいったん胸にしまって。

野菜セットや食材には毎回、【かごしまんまだより】を同封してそこに、虫がいる理由やキャベツが夏に消える理由、夏場はずっとゴーヤばかり続く理由などをテーマに書いていきました。

すると最初は虫が野菜の間から出てきてお怒りになっていたお客さんも、年々少なくなっていき、逆に「野菜についていた青虫を育てて蝶にしました!」なんて報告をお客さんから頂くようになりました。

かごしまんまだよりには、食の安全に関することを毎回テーマにして書いてきました。
添加物や農薬のことを書いたり、水俣の資料館や星塚敬愛園を訪問してレポートを書いたり、中医学では季節の野菜こそがお薬になること(薬食同源ですね)を書いたり、色々な情報やテーマを中心に書いて、野菜セットに同封してきました。

「今までのものを全てファイルにしてとってあります」なんていうお客さんも多いかごしまんまだより。

そんなかごしまんまだよりも今月と来月だけは、このクラファンのことを情熱を持って書かせていただこうと思います。
かごしまんまユーザーの皆さん、どうかお許しを・・・。

山下理江

2023年 12月 15日 Blog | クラウドファンディング活動報告

『種は地域のみんなのもの』

地域の在来種での農業を復活させたい仲間が集まって、今秋に誕生した『おおすみ百姓の森』。
私もそのメンバーで、毎週水曜日に集まって色々活動しています。

今週は私が「『モンサントの不思議な食べもの』というドキュメンタリー映画を観よう!」と鼻息荒げて呼びかけました。
ただ延々と世界におけるモ社の歴史を追っていくだけの103分間。
仲間の家のリビングで観ました。
事実に基づく現地への取材。遺伝子組み換え植物を導入した国々の、農家を追います。
なかでも、インドの在来種綿農家の多くがBT綿に切り替えたところ借金が増えて綿農家の自殺者が多発した、という場面は一番辛いです。
BT綿とは遺伝子組み換え技術によって殺虫剤耐性を持つ綿をつくって特許取得された綿のこと。
特許取得されているので、綿農家は種子の自家採取できず、毎年借金をしてBT綿の種子を購入し続けなければなりません。収穫して売れた綿のお金で借金返済に充てるため、不作になれば自殺する人が増加するのです。
それだけではなくBT綿はどんどん変化していき、病気になりやすく殺虫剤にも弱くなっていきました。
数年後、インドでは農家によるBT綿反対運動が起きました。

この映画は2008年のフランス映画ですが、種子法廃止や種苗法・食品表示法改定が続く国に住む日本人にこそぜひ観てもらいたい映画です。
私の今のモチベーションの源は『沈黙の春』『母は枯葉剤を浴びた』『種が危ない』の3冊。
そしてこの映画です。

種は、その地域のみんなのものです。
種は、その地域で繋いでいくことに意味があります。
地域で昔から繋がれてきた種には、農薬も化学肥料もいりません。

今週は映画を観てもらうという、小さな啓蒙活動ができて幸せでした。
そして映画の余韻冷めやらぬその5人に【クラファンお願いします!】のチラシもしっかり渡せた私でした。


焦らず、一歩一歩やっていこうと思います。

山下理江

2023年 12月 14日 Blog | クラウドファンディング活動報告

今日の様子

クラファン期間中、応援してくださる皆さんに私にできることはなんだろう。

シワがなくツルツルスッテンテンの脳みそで考えて考えて、とにかくこの活動報告になにかを書いてご報告していこうと思いました。

私達の実際の毎日の様子や活動や今までのこと、どうして小豆なのか、とか、クラファンページに書ききれなかった色々を、なるべく毎日書いていこうと思います。

まず今日は、今日の一日の様子を。

午前中。


スイッチオンして、1時間半後に煮上がった小豆

自動豆煮機に小豆を入れて、スイッチオン。
これが超絶便利。
あらかじめメーカーのラボでかのや姫小豆用に最適な渋切時間と豆煮時間を研究して出して頂いた数値がセットしてあり、本当にただスイッチオンするだけ。

和菓子屋さんにあんこ作りを習ってから1年間ひたすらに練習した日々は、この子が来てあっさりと終わってしまった。
この子がいるから自信持ってあんこづくりができるといっても過言ではないくらいの正確さで、いつもちゃんと小豆を破裂させずに柔らかく煮上げてくれる。
メーカーのカジワラさんにただただ感謝。

ちなみこの子の本名は【ニュー豆煮くん】。男の子である。


粒径選別後、色彩選別機に4回かけてさらに人の目で選別します

ニュー豆煮くんに豆煮の仕事を任せたら、人間の私達は選別作業。
雨でなかなか進まなかった昨日の選別作業の続きをひたすらした午前中でした。

午後。


豆煮くんから取り出した小豆を、粗糖と共に餡練り釜に入れて火にかけます。
焦げたりこぼれたり突沸したりするので、ずっと目が離せない工程です。

糖度55度になったら火を止めて完成です。そして完成した粒あんを充填機に移し、真空パック詰めしていきます。
作業が終了したら後片付けして、通販部門の事務処理をして仕事終了!
今日はこんな1日でした。

応援ありがとうございます!
皆様の応援を励みに、明日も頑張ります!
小豆計画
山下理江

2023年 12月 12日 Blog | クラウドファンディング活動報告